長女の出産で太った身体は元に戻るまで3年かかりました。
早く 次の子が欲しかったのですが。。。  なかなかできませんでした。
2年後くらいから 少しずつ 体重が減り始めたころ 2度目の妊娠が分かりました。
最初の診察の時に 妊娠しているのは 双子だと言われました。

妊娠7ヶ月ごろ また浮腫みが出始めたので、塩分を控えたりして注意していました。
8ヶ月の1日目 病院から帰って来て、友達と昼食をすることになり 
久しぶりにラーメンを食べました。 それがよくなかった。。。
ゆっくり身体を休めて 少し横になるように言われ、お布団に横になろうとした時 
今回も 破水してしまいました。
仕事中の主人にすぐ連絡し病院へ行くことにしました。
病院へ向かう車中でカーブした時 ド〜ンとお腹が下がる感じをうけました。 
私はとっさに「頭が出たぁ」と叫んでいました。
病院へ着いたのが17時
着いて診察台に上る前に 先生に頭が出ていますと伝えましたが 
誰からも信じてもらえませんでした。
先生が診察を始めた途端 あわてだしました。 やはり 頭は見えていたのです。
分娩室が2階だったので 静かにゆっくり歩いて分娩室に入りました。
入ってすぐに陣痛は始まりました。
その病院はラマーズ法でした。  次の週から母親学級に入る予定だったので。。。
呼吸法が分からず困ってしまいました。
横で看護婦さんが一緒に呼吸を整えたりやり方を教えてくれました。

呼吸を看護婦さんに合わせて一生懸命でした。
その時  スルッと 第二子の次女が産まれました。
呼吸を整えようとした時 すぐにまた陣痛が始まりました。 
10分後 第三子 長男が産まれました。
二人が小さかったので 今回の出産は早くて 軽かったです。

10月に産まれるはずの二人。。。
7月25日 17時30分 次女誕生     10分後の 17時40分 長男誕生
体重は ともに 1240gで 超未熟児でした。。。   すぐに 保育器に入りました。
1週間生きられるかどうかと言われ不安で毎日 祈る日々でした。
保育器に入っている影響で未熟児網膜症になる恐れがありました。
次女にその疑いがでました。。。   次の日
小さい箱のような保育器に入れられて 大学病院に行き 検査となりました。
とてもかわいそうな検査でした。。。 辛かったぁ
検査結果は 大丈夫と言うことで 一安心しました。

私が先に退院し 2ヵ月後 二人は無事に我が家へ来ました。
小学校低学年くらいまでは 他の子と比べて小さかったけど超未熟児だとは感じなくなってきました。


今では 二人は「ママがラーメンを食べたから早く産まれたんだよ」と
長女に言われ 笑い話しになっています。。。
すごく 反省しています!

そんな私も二人を産んで ホルモンのバランスが変わり
金属アレルギーになったり白髪が増えたり いろんな症状がでましたね。
ページ上 HOME
ページ上 HOME
妊娠後半 体重が急激に増えてきた。
無理な食事はしていないのに。。。
尿に蛋白も出始めた。。。 そして 足がパンパンに浮腫んできた。
少し 不安になっていた。
かかりつけの産婦人科から 実家の近くの産婦人科に替えた。
そこで診断されたのは 妊娠中毒症だった。
その病院へは 一ヶ月しか通わなかった。かなり重症の中毒症だったので、
すぐに大学病院へ転院した。  出産2ヶ月前ことだった。。。
大学病院で治療していたが、
出産1ヶ月前に入院となり 絶対安静の毎日となった。
たしかに
体重の増え方はおかしいし 蛋白の(+)の数値も(++)になっていた。
浮腫みも足だけではなく 身体全体に出てきた。
ただ
私自身は 痛みもないし 身体が重くなったと感じていただけだった。
そんな私は子どもが心配で。。。
先生に「子どもは大丈夫でしょうか?」と聞いたところ 
先生は「子どもではなく、あなたが危ないんですよ」と言われてしまった。。。
病院生活では本を読むのが楽しみだったが 目を疲れさせてはいけないと
昼間なのにベットの回りに暗幕をかけられ 本を読むこともできなくなった。
そんな病院生活が1週間続き やっと退院。
出産まで実家で静かに過ごしました。


体重は。。。
出産前 43kg から 65kgになっていた。

中毒症の症状は
蛋白・浮腫み・高血圧の三大疾患です。
私は 元から血圧が低くかったので
いつもよりは高くはなったが
危険な症状にならなかったので
私も子どもも助かり無事出産できました。
結婚して専業主婦になった。
家に一人でいる日々
話し相手もいない。。。
夕方まで 主人の帰りを待つ生活が続いた。
友達に会いたいなぁ。。。誰かと話しがしたいなぁ。。。
そんな日々だった。
たまに 実家に行ったり友達が遊びに来たりしていたが、
寂しがり屋で人と一緒に過ごすのが好きな私は、
ストレスがたまり始めていた。
結婚して 一年くらいした頃から
身体がだるく 頭が重い感じをもつようになっていた。
主人が心配して病院へ行くようにと言ったので近くの病院へ行った。
検査結果はすぐにでた。
病名は 自立神経失調症だった。
自分の意志とは関係なく身体のコントロールができないらしい。。。
それも 治ることもないと言われた。
今でも 体調が悪くなることもあり 
自分の身体に慣れていくしかないと思っています。
自立神経失調症と分かった頃に
今度は 胃の調子が悪くなったので
先生に相談したところ 妊娠していることが分かった。
胃が重く 少し気持ち悪いと感じただけで、ひどいつわりはなかった。
初めての妊娠で慎重になっていたし、食べ物や体調にも注意していたが。。。 
妊娠5ヶ月ごろ お腹が張った感じが続いた。
切迫流産の恐れがあると言われた。
トイレ以外は 安静にしていなければならなかった。
一日中 ベッドにいる日々でした。
そんな日々が一ヶ月以上続き
やっと 安定してきて 流産の恐れから解放されました。
ページ上 HOME
ページ上 HOME
ページ上 HOME
ページ上 HOME
手のない絵
不安な一年
双子の出産
長女の出産
妊娠中毒症
切迫流産の恐れ。。。
自律神経失調症
私自身の体験を書きました。 思い出しながら書き記しましたので、言葉遣いも雑です。文章も整っていないと思いますが。。。 読んでくださいね。  
そんな長女が 幼稚園に通うようになりました。  楽しく通ってくれました。
通い始めて数ヶ月たった頃
幼稚園で描いてくる絵に手がないのです。
顔もしっかり描いているし 洋服もフリルがついたり 模様まで入っていて しっかりした絵でした。
袖はちょうちん袖で可愛くふくらんでいました。 その袖から 手が出ていません 袖だけでした。
私は悩み考えました。
この手の対象は私自身だと思いました。
いつも私の腕には 二人の妹と弟が抱かれている。。。
しっかり者の長女も まだ 私に甘えたい時期だったと思います。

そして私は
長女を膝に乗せ ハグしてあげました。  長女も私も ちょっと照れくさかったのを覚えています。
それでも
双子が寝ている時間とか 私が空いて時間は 長女と触れ合いスキンシップしながら遊びました。
そんな日々が続いた頃   絵には手が描かれるようになりました。


どんなにしっかり者でも 大人でも 触れ合うこと
スキンシップは大事なことだと思います。
心のスキンシップ 身体のスキンシップを
大切にしていきたいと思います。
そんな二人も健やかに育っていきました。
でも 身体が小さいのもあって 一年くらいは不安な毎日でした。
二人が8ヶ月の頃 高熱をだし すぐに病院へ連れていきました。
大きい病気ではなく安心しましたが。
その時 治療のために 血管注射をしましたが 
二人の細い血管には針が入らない状態でした。。。
いろんなところへ 針を刺し変えました。(7ヶ所) とてもかわいそうでした。
泣き叫ぶ二人を見るのが辛かったです。
二人を励まし 見守っている私に
看護婦さんが「おかあさんは強いですね」と声をかけられました。
そのとたん 我慢していた感情が抑えられなくて 涙が止まらなくなりました。


その後の二人は 大病もせず元気に育っています。
妊娠中毒症の治療からいよいよ出産
病棟も婦人科から産科へと入院して出産を待った。
入院しても出産の兆候がない。。。
陣痛促進剤も打ったが変わらなかった。
3日目 促進剤を打っても変化ないので 今日もまだ 産まれないなぁと思っていた。
16時過ぎ。。。
ベットの上で パッチと風船が割れる感じをお腹に感じた。
それと同時にベットがビショビショになっていた 破水だった。。。
静かに 出産待機室へ移動  陣痛はすぐには こなかった。
それでも少しずつ陣痛が始まった。  19時過ぎ頃に 分娩室に入った。
陣痛は強くなってきたが。。。   なかなか子どもが下りてこない。
中毒症で お腹の回りも浮腫んでいたので、力がはいらず。。。 力んでも下がらない。            
婦長さんが分娩台に乗ってきて 私のお腹の上にまたがり胃とお腹の間を押し始めた。
先生も必死だったの思います。  ちょっと大変な出産でした。

そして。。。
5月14日 23時23分 3200g 第一子 長女誕生!
当時にしては 大きい子と言われました。  髪の毛も真っ黒でフサフサでした。

ホッとしたところに            
先生が。。。 
5月15日が語呂がいいからそうするか?
ちょっと変わった先生でした。
    自立神経失調症
    切迫流産の恐れ。。。
    妊娠中毒症
    長女の出産
    双子の出産
    不安な一年
    長女の成長
    手のない絵
ページ上 HOME
長女の成長
福島のいわき市に5年ほどいました。 双子は福島で産まれました。
長女も双子の二人も手がかかる方ではなく 子育ては楽でした。
それでも 実家の母が私の身体を心配して長女をしばらく預かると言ってきました。
主人と話し合い 長女の為にもその方がよいと考えて
福島から東京の実家へ行かせることにしました。   長女はその時 三歳でした。
そして
いわき市の平駅から主人が電車に長女を一人で席に座らせて東京まで行かせました。
上野には母が向かえに来てくれましたが、上野まで2時間半 長女は一人旅です。
席が隣だった方が娘のことを「ニコニコしてお利口さんでしたよ」と母に言ってくれたそうです。
福島と東京を行ったり来たりの長女の旅は 2回させました。。。

東京から帰ってくると 甘えん坊で我がままになるのではと心配しましたが
帰ってくるたびに いろんなことも吸収し 本をスラスラ読んだり
ビックリするくらい 知識が増え 長女はしっかり者になっていました。
一人旅と実家へ行ったことで長女は いろんなことを感じ 考え 行動してきたのだろう。
それが刺激となり 成長したのだと思います。

東京へ行く前から 
手もかからず 歩いたのも誕生日前で成長も早かったので育てるのも楽でした。

今でも 長女は私より しっかり者で 
私の方が注意されたり 意見を言われたりします。
最近のことですが。。。
そんな長女に 「ママは 昔より強くなったねぇ」と言われました。
親子関係が逆でしょう。。。  (笑)